父への感謝(マン管試験④)
「マンション管理士の試験に挑戦したい」と気持ちが決まってから父に思いを明かすまで、一月ほど期間を空けました。心配をかけたくなかったからです。
私は高一で双極性障害を患ってから、できもしない無茶なことを目標に掲げて家族を困らせてきました。
「大学に行く」
「専門学校に行く」
「パソコン教室に通う」
目標を紙に書いては、捨て、書いては、捨てていました。
体調の波幅が大きく 体力もどん底だった当時、できるはずもありません。
しかしあの頃の私は、自分を客観的に見ることができませんでした。
必死でした。どうにかして社会的な居場所が欲しいと、もがいていました。
無茶な目標を掲げて苦しんでいた私の姿が、父にはトラウマの記憶として残っているのだと思います。
躁鬱のひどい状態を抜け出したのちも、父は私が勉強などを頑張っていると決まって
「ぼちぼちよ」と声をかけてくれました。
「頼むから無理をするなよ、無茶をするなよ」そんな風に聞こえる「ぼちぼちよ」でした。
そんなわけで、父には「これなら試験に太刀打ちできるかもしれない」と感じた9月頃に受験のことを打ち明けました。
もちろん「そうか頑張れ!!!」と応援はされず、なんとも言えない顔をしていました。そりゃそうだ。前科がありすぎる。
父には今回ももれなく心配をかけたと思います。特に試験まで2週間のラストスパート期間はとても「ぼちぼち」とはいえない勢いで勉強したので。
幸いなことに、何年もかけて自分の心身の扱い方を学ばせていただきました。
体力も、一番しんどかった時期に比べてずいぶん向上しました。
おかげさまで、ギリギリのところで鬱転せず頑張ることができました。
試験当日、会場には父に車で連れて行ってもらいました。
公共交通機関を利用する機会が少ない私にとって、行ったことのない会場に一人でたどりつくのは試験勉強と拮抗するほどに難しいミッションでしたので、本当に助かりました。
車で送ってもらったとき、助手席から見えた空は水色できれいでした。今備忘録を書きながら景色を思い出して、今、あの空はきれいだったと思い出しました。
大雨だったら、極寒だったら、試験に向かうときの気分も重いものだったかもしれません。
試験当日は気が張り詰めて、空の青さに目がいきませんでした。今思い返せてよかった。私は父にも天候にも助けてもらった。
そういえば、試験を受けてからは「ぼちぼちよ」と言われることが少なくなった気がします。
無事に試験を終えたことが、父の安心に繋がったのかもしれません。そうだったらいいな。
年末に、父と「私が合格したら焼き肉を奢って」と頼んでみました。
「いいよ。不合格でも食べよう。そのときはすぬーぴーが払うということで」
と返されました。
ただでさえ不合格で落ち込んでるのに、さらに焼き肉を奢らなくちゃいけないのwと笑いました。泣き面に蜂とはこのことか。
色んなことを多めに見てもらって、今も父にお世話になっています。
本当に私は、「許され守られ助けられ」の人生です。
私もいつかは誰かを守ってあげられるだろうか。