さみしい過去を「よし」とできた日。

こんにちは、すぬーぴーです。

昨日今日と、この9年間の「さみしかった」日々を思い返しています。

思い返すきっかけは何だったんだろ。

何かは思い出せませんが、昨晩は湯船の中で、今朝は髪を整えながら、考えていました。

そして、初めて「これまで孤独でよかった」と思いました。

自分でも驚きました。そんな風に思う日が来るなんて、想像していなかった。

 

私は高校生の頃に双極性障害を発症し、状態がどんどん悪くなっていきました。

それでも、学校に通うことを諦めたくありませんでした。

とてもしんどかったはずなのに、辞めたいとは一度も思いませんでした。

でも、自分で通学する力は残っておらず、母に車で送迎してもらうことでなんとか息を繋ぐ日々でした。

力の入らない腕ではシートベルトを外すことが出来ず、自分で車から降りられなかった日、母に諭され、学校を辞めることを選びました。

車の窓越しに見える校舎と、助手席で泣きながらうなだれていた自分を覚えています。

 

高校を辞めてから数年間は、記憶と時系列が結びついていません。

今から書き残す記憶もいつ頃のことだったのか分かりませんが、何年も前のことです。

 

私が高校を辞める間際、私の心情を聴いてくれた友人がいました。

辞めた後、その友人とLINEををしました。そして、久しぶりに会うことになりました。

とても嬉しかったですが、反面とても心配でした。

 

学校に行っていた頃の私に比べ、当時の私は体力が相当落ち、自信は砕け、気持ちも臆病になっていました。

LINEの文をなんと打てば良いのかも判断ができず、母にひとつひとつ、これで間違ってないか、どう打てばいいか、助けを求めるほど、自分を失っていました。

 

私は、別人のようになった自分のことを事前に知ってもらいたくて、状況を説明した長文のLINEを打ちました。母に相談しながらです。

それを読む友人の負担について考える余裕は無く、又、こんな状態で友達に会おうとすることが無謀だと気づくことも、当時はできませんでした。

 

友人は本当に困ったと思います。

暗い内容が長々と続くLINEに恐怖を感じたんじゃないだろうか。私だったら、溺れている人にすがりつかれるような息辛さを覚えただろう。今になって思います。

LINEの返事は当分ありませんでした。

 

当日、待ち合わせ場所に、無理を押して行きました。

体力が落ちた私には、家からバスに乗って待ち合わせ場所に行くことも大仕事でした。

 

友人は約束した時間になっても現われませんでした。

心配しながら、暑い日だったと思います。日傘を差して待っていました。

1時間ほど経って、電話がかかってきました。

寝坊した、と告げられました。今起きたかのような声でした。

電話越しに、なんでもなかったんだね。今日はもういいよ。じゃあね。と告げました。

フラフラになりながら家に帰りました。

友人とはそれきりになりました。

 

家に着いて泣きました。

寂しくて、悲しくて、傷つきました。

何年も残る傷になりました。

 

私が自分の体調や心の状態に合わせて行動をコントロールできるようになったのは、学校を辞めて何年も経ってからです。

その間に、学生時代の友達とはどんどん疎遠になりました。

同年代の人のライフステージが一段一段変わる度に、よじれるような苦しさがありました。

 

私も仲間が欲しかったです。本当に寂しかった。

フリースクールをなんとか卒業してからは、一層孤独な日々でした。

 

そんなことがあったと、思い返したのが今朝になります。

そしてやっと、「友人がその日、待ち合わせ場所に来なくてよかった」

と思えました。

友人が来ていたら、縁が続いていたら、私は更に友人を困らせたと思います。

私が双極の症状に振り回されたように、私もまた友人を振り回したかもしれない。

 

「孤独でよかった」とも思えました。

私はさみしくとも、孤独な日々の分だけ、人を振り回さずにいられたと思います。

自己コントロールが未熟なうちに新しく友達ができていたら、その人にもまた迷惑をかけていたと思います。

だから、親しい人が与えられなくてよかった。

 

私は自分のことばかり考えていて、

いつも自分がどう思われるかが気にかかります。

でも今回は、 「あなたを傷つけずに済んでよかった」そんなふうに思えました。

私がいま親しい人を与えられているのは、

昔より幾分かは「あなた」を大切にすることができるようになったから、なのかな。そうだといいな。

 

私の友人へ

気にかけてくれて、ありがとう。

私のしんどさや不安を、送り付けてごめんね。

怖かったと思う、ごめんね。

あの日、あなたが来なくてよかった。

ありがとう。

 

それでも、孤独な日々でも、一緒に居てくれた家族には迷惑をかけました。

家族以外でも、迷惑をかけた人はゼロではないと思います。

もう、振り回したくないし困らせたくもないです。

 

「あなた」を大切して生きていきたい。

そんなふうに思えた9年目の今日でした。