動物園と化した机の話(片づけ祭り⑤終)
こんにちは、すぬーぴーです。
片づけって疲れますね。心のエネルギーが枯渇してそろそろしんどいので、今日のゴミ出しで一段落ということにしたいと思っています。
今日のゴミ出しはラスボスでした。その名も「その他プラ」。
その他プラにはCDやプラスチック製のおもちゃ等が分類されます。
そしてぬいぐるみ。
ぬいぐるみ。
辛かった。本当に辛かった。音楽ガンガンにかけて脳みそ麻痺させて、勢い100%で捨てるならまだできたかもしれない。わかんないけど。
でもこんまり先生は、モノと対話して感謝して捨てなさいって。
本当の片づけを乗り越えた先に、二度と散らからない部屋があるって。
だからぬいぐるみと対話しながらゴミ袋に入れるですけど、辛くて辛くて。
いままでクローゼットのなかで埃かぶせてたじゃないか、今更じゃん、全然大切にしてなかったのに捨てるのは渋るの。
って自分でも思うんですけど!目が合うと涙が止まらない!!!
ここ2日3日、泣く上に泣くからまぶたが腫れぼったくてガチャピンです。
ちゃんとさよならしよう。大事に捨てよう。
そうだカバンもその他プラだから、その中に入れてあげよう。それならゴミ袋に雑に入れるより気分がマシかもしれない。
カバンに入れてみました。おやすみ、って言いながら入れました。そしたらカバンが棺に見えてやっぱり涙が止まらない。だめだどうにもならん!!!
日に日に近づいていくその他プラの日。
日に日にやつれていく私。部屋に積まれたゴミ袋が心を蝕む。
昨晩、父が「明日ゴミがあるなら出しておくよ」と言ってくれました。
「ううん、明日はぬいぐるみを捨てるから、自分で捨てないといけないんだ」と私。
声震えてたかな。父が「大丈夫?」と声をかけてくれました。
ありがとうパパ、全然大丈夫じゃないんだ。
そしてついに今日、その他プラを捨てる日がやってきました。
業者さんが来る前にギリ起きて、ゴミ袋を収集所に出してきました。
これで、私の部屋に積まれていたゴミ袋はほぼ無くなりました。
片づけた私の机の上、こちらになります。
捨てられなかった!!!!!
無理だった!!!!!
深夜、心の痛みに耐えきれず、袋から取り出しては並べ、取り出しては並べ、机の上は動物園と化しました。
目のあるものは集中力を削ぐからよくないとか聞いたことあるけど、よく知らないけど。
ゴミ袋からこの子たちを拾い上げたとき、本当に心がホッとしたんです。
ときめきとは違うかもしれないけど、大事にしてあげたいと思ったんです。
もうぬいぐるみを増やさないかわりに、この子たちを大事にしよう。
埃をかぶったら日陰干しして、汚れてきたら洗ってあげて、大事にしよう。
そう思ったら本当に心が健康に戻りました。あーしんどかった!!!
この一連の片づけ祭り、本当にしんどかった。
とりあえず休憩。もう二度とやりたくない片づけ祭り。
こんまり先生曰く、一気に綺麗になった部屋を目の当たりにすると
「もう二度とあんな汚部屋には戻りたくない!!」と固い決意をすることができると。
私の場合、なんか違うな。意味合いが違う気がする。
でも「二度とこんな苦しい片づけ祭りしなくていいように汚部屋にしない」ってなったんだから、これもいいのか。
今あるモノを大切にしたいです。とりあえず今目の前にある洗濯物を大切に畳みます。
乾いたかな。いつも姉が畳んでくれるんですが、乾ききらなかったのが干してあります。ありがとう姉。
丁寧に畳むぜ。
ひとつずつ、えっちらおっちら。
こんにちは、すぬーぴーです。
前回までの備忘録で、人生を変えるための片付け祭りとその時々の心境を書き残しました。
たくさんのモノに溢れた部屋が、ある程度片付きました。
勉強した方が良いと思っていたもの、するべきだったと思っていたモノが無くなった今、目の前にあるのは
「やらないといけないこと」
「臆病になってできてないこと」
に絞られました。
やらないといけないこと
パソコンの勉強です。ここ最近、求人情報をネットで調べています。事務関係を希望するのなら最低限Excelなどの操作ができないといけないよな、と思うのですが…
何故それほどまで!?と自分でもびっくりするくらいパソコン操作に苦手意識を持っている私です。
やればできるだろ頑張れよスタートラインに立ちたいだろ?と自分に言い聞かせても、パソコンの勉強となると頭が集中することを拒否するんです。
私は勉強するときにガッと集中力を発揮するのが得意なのですが、Excel勉強しよっかな、と思ったら頭に霞がかかったような感じになります。なんでだ。
先日、パソコンの仕組みってこんな感じだよ、と優しく書いてある本を見つけました。
まずパソコンのことを知ろう、そしてパソコンと友達になろう。
と試み購入したのですが、それも読めない。霞がかかる。なんでだ。
ほとほと困ってますが、備忘録に「困りはてている」ことを書き出せたのはよかったです。文章にして問題と向き合ったにで、これをきっかけに先に進めるかもしれない。
臆病になってできていないこと
マンション管理士の登録です。登録案内が入った封筒は既に届いています。
☆郵便局で払い込みをする、収入印紙を買う
☆役所で住民票をもらう
☆誓約書に署名捺印する
☆書類を揃えて必要事項を記入し、特定記録郵便でセンターに送付する
これらの手続きを済ませれば、マンション管理士として登録され登録証をもらえます。
しんど!!!
何がしんどいって、高校を一年も通えなくて、以来9年ほぼほぼ家で過ごしてきた私です。
収入印紙も初めましてだし、かしこまった誓約書もはじめましてだし、窓口という窓口で緊張するし。
療養してる間に時は流れて、時が流れる分だけ臆病になってしまいました。
でも、
☆郵便局の窓口で払い込みすることなんて滅多に無い、というかあっても日常生活における記憶力が雑魚なので忘れてる。経験値として貯まってない。
★初めてなんでよくわからないです教えてください!って郵便局がすいてる時間に聞きに行けば教えてくれるよ。
☆収入印紙を買ったことが無い。収入印紙ってなんだ!とググるくらいよくわかっていない。
★収入印紙ください!これに貼るので!って書類見せたらちゃんと正しいモノをくれるよ。
☆住民票についてよくわかってないし、役所は堅い雰囲気が漂っていて苦手。
★窓口で住民票ください!って言ったらもらえるから大丈夫だよ。
☆誓約書にサインするのを尻込みする。
「自分本当にマンション管理士登録拒否事由に該当してないよね?なんか知らないうちに悪いことしてないよね?」なんて風に。
★ほぼほぼ家にいたのにどうやって悪いことするんだよ。
☆書類に不備があったらどうしよう。
★不備あったらセンターが教えてくれるよ。
…ひとつひとつ考えたら、たいしたことじゃなかった。初めてのことが束になって覆い被さってくるような感じがして身動きが取れなかったけど、束をほどいたらひとつひとつはそんな怖がることでもなかった。
「9年ほぼほぼ家にいて、社会経験をしていない」
という事実が、私の自信を根こそぎ焼き払ってる気がする。
そりゃそうだよな。自信なんかあったもんじゃないし、分からないことだらけで当たり前だよ。ずっと家でしんどいの耐えてたんだから。今からひとつひとつ学んでいくしかないし、それでいいんだよ。
きっと私が同じような立場の人に声をかけるとしたら、こんなことを言うだろうな。
人に言うんなら自分にも言ってあげないとな。
思えば試験前に、こんな社会のこと何にも知らない私がマンション管理士の試験を受けてもいいんだろうか、と悩んだこともありました。
そんなときは、図書館で出会った本の「資格試験合格はゴールではなくスタート」という言葉を思い出して元気を出していました。
「そうだよ、こうやって勉強して、少しずつ学んでいけばいいんだから。何もしなかったら何も分かんないままなんだから。」
そんな風に言い聞かせてました。
今、学ぶときが来たんだ。頑張ろう。
私はえっちらおっちら進んできたんだから、これからもえっちらおっちらひとつずつ、こなしていくんだ。
知らなくて怖い、できなくて恥ずかしいって思わなくていいよって、以前言ってもらったことがありました。
役所で分かんないことがあったら聞いてみます。郵便局でも聞いてみます。
一生懸命頑張って、周りの方に助けてもらって出せた結果だから、形にしよう。
ここはスタートなんだから。
今日できることは、誓約書に署名捺印すること。
ひとつずつ。えっちらおっちら。
心のバリケードを片づけるとき(片づけ祭り④)
こんまり先生の本に感銘を受けて始めた片づけ祭り。これまでの備忘録で、衣類、書類、本の片づけまでの流れを書き残しました。
残すは、小物類と思い出の品。昨日は小物を中心に片づけました。
小物を引き出しや箱から取り出して床に広げる
→ひとつひとつ手に取って、残すか手放すかを決める
→残すモノは紙袋に入れてとりあえず保管する(収納法を考えるのは最後だそうなので)
→手放すモノを、燃えるゴミ、不燃ゴミ、その他プラ、リサイクルプラ等に分けて袋に入れていく
だいたいこんな流れで作業しました。
さよならを決めたモノの量、不燃ゴミが1袋、その他プラが2袋半。
いままでなんとなく取っておいたモノ、狭い部屋の色んな所にねじこんでいたんだな。
可愛いなと思ったヘアアクセ、もう使っていない財布、奥にしまっていたCD、昔のスマホケース。
なんとなく取っておいただけだから、使い道も分からない。結局使ってない。
でも捨てるの申し訳ない、もったいない、捨てると思うと心が痛む。
もう同じことの繰り返しをしないために、捨てる痛みを心に刻みつけています。
今まで私は何度も部屋の大片づけをしてきました。そして、ゴミの分別で毎度つまずいていました。
要らないモノを袋に放り込んで、集中力が切れたら一旦終了。
→勢いで片づけたので、休憩して勢いがなくなったら片づけのやる気もなくなる。
→ゴミの分別なんて細々した作業、やる気ないのにできない。
→結果、長らく未分別のゴミ袋を放置する。後にしぶしぶ処理する。
こんなモノとの向き合い方では、リバウンドしてもおかしくないな。
今回に関しては、分別が苦ではありません。ひとつひとつ手に取り、ありがとうの気持ちを伝えるときに、どの袋に入れたら良いかも分かるからです。
感謝して手放すことは、私の分別の後回し癖を直してくれました。
今日は勉強机の正面に取り付けられた本棚スペースを取り外しました。
あれこれドライバーでネジを回していたら、無事に分離に成功しました。
今まであった棚がぽっかりなくなって、物寂しい感じがありますが、
棚があることで勉強机のスペースをフル活用できないのが不便だったり、
本棚の仕切りが低いので大きな本を立てようとすると格好が悪くなったり、
こんな使いづらさを感じていたので、思い切って取り外した次第です。
収納スペースを減らすなんて、今まで当たり前にあったモノをなくすなんて、自分でやっておきながら心はざわついています。
片づけを通して、なんとなくあるモノと向き合い、今の自分に必要なモノは何かを考え、自分の必要とするモノの量がそんなに多くは無いことを知りました。そして、この決断に至りました。
がらんとした机は、がらんとした私の心のようです。
衣類も本も書類も小物も、私が部屋に押し込んでいたモノの相当の割合を捨てました。
こんまり先生の本には、片づけをして部屋に残ったモノが、今の自分に必要なモノや自分の本当の願いを教えてくれることがあると書かれていました。
私の願いはなんだろう。
モノが残らないのです。
過去助けてもらったモノ、過去ときめいたモノはあったけど、今の自分が心動かされ必要とするモノが、ほとんどないのです。
生活に必要なモノはそろっています。ただ、自分の将来の夢や今やりたいことが表れたモノが見当たらない。
心をモノで埋めていたんだな。
自分は今、夢もやりたいこともないんだ。
勉強系の本の買いだめは好奇心の表れでもあるけれど、学生時代から続く「勉強できる私、勉強する私が私のアイデンティティー」という思い込みに依るものが大きかったんじゃないか。
片づけで部屋のモノがなくなるのと同じ早さで、自分の心がすっからかんに近づいていく。
これまで一時の勢いで買い集めたモノ達で、バリケードを作って自分を守ろうとしてたのかな。
高校辞めて、どうにか通信高校卒業させてもらって、無職になって。
「でもわたしはやりたいことあるし、勉強してるから大丈夫、大丈夫…」
こんな風に自己防衛してたんじゃないかな。
そしてバリケード作りすぎて、本当にしたいことが一層わからなくなってるのかな。
まだ予測の範囲で、実のところは分かりません。
もしモノで心を守ろうとしていたのなら、まずバリケードを片づける。
そして、なんにもない自分と向き合う。
夢も希望も、もっと先の話。
なんにもなくなって怯えた私に、「いいよ。大丈夫よ。」と声をかけてあげられるように、モノを片づけます。
モノに対する不誠実さに茫然としました(片づけ祭り③)
こんにちは、すぬーぴーです。
ときめく人生へ舵を切るべく片付け祭りを開催し、今日で3日目です。
1日目に服を片づけて物凄いエネルギー使ったので、次の開催日は未定にしていました。
本来は短期集中決戦が望ましいそうです。その方が、片づけが自分に与えるインパクトをより強くできるそう。
何この綺麗な部屋…もう二度とあんな汚部屋には戻りたくない!!
という風に。
私の場合は体調の都合があるので、テキスト通りのベストは尽くせないだろうと思っておりました。
が、服の片づけで勢いがついて、その日の夜のうちに鞄と靴を片づけました。
靴も鞄も、そんなに多く持ってるつもりはなかったですが、服と同様に手放す品はしっかりありました。
あ、こんな靴あったな。全然履いてないな。この鞄、今年使わなかったな。
来シーズンまでとっておけば使うかも、もったいないかな。なんて思いもありました。しかしそんな自分に甘い考えでは、人生を変える片づけ祭りは不発に終わってしまう。心を律して臨みました。
結果。残ったのは靴が8足ほど。鞄は10個くらいだと思います。
実は本日も片付け祭りを敢行したため、疲れ果てて椅子から立ち上がる気力がありません。正確な数を確かめにいくのもおっくうなので、だいたいの数字です。
靴には礼服用の2足も含まれています。鞄も同様です。
書いていて靴はちょうど良いなと感じたのですが、鞄がまだ多い気がします。
リュックが2個あるので、1つを手放そうかな、でももう疲れて判断力はガタ落ちだ。後日決めることとします。
昨日今日で、本と書類と小物の一部を片づけました。
本と書類合わせて、資源用のゴミ袋が7つパンパンになりました。
「いつか勉強したい系の本」が多いこと。
こんまり先生曰く、「いつか」はほぼほぼ来ないそうです。多分私にも来ない。処理できないほどのモノを抱えてあっぷあっぷしているような私には来ない。
ときめくモノだけを、今の自分に必要なモノだけを、選び取っていった結果。
MOSのテキスト、歴史に英語の本など、合わせて10冊前後。正確な数を確認に行くのが(略)。
漫画も、今ときめくのは一作のみ。あとは全てさよならorメルカリとなりました。
過去、勉強面と精神面において支えとなってくれていたものがありました。
勉強は、NHK語学番組「リトルチャロ2」のラジオ版テキスト。学校を辞めた私を英語と結びつけてくれていた、宝物です。
この本で何年もかけてゆっくりゆっくり勉強し続けたから、英会話サークルに見学に行く自信がついたのです。そして、サークルで人との交わりを与えてもらいました。
いつかもう一度勉強したいと取っておいたけど、そのいつかは来ませんでした。
チャロの役目は、終わったんだな。ありがとうね、本当にありがとう。
そう心の中で伝えながら、辛かったですが、ゴミ袋に入れました。
チャロの3月号、最終号が一番上になりました。
涙ぐむチャロの上に
「Always be strong ...」
と書かれていました。チャロがお別れを言ってくれているようでした。
涙がこぼれました。今こうして書き残している間も、涙が止まりません。と書いてる最中に父がおやつ食べにリビングにやってきたので、今は気合いで止めてます。
強くならないとな。チャロが応援してくれてるんだから。
精神面を支えてくれたのは、蟲師というタイトルの漫画です。
静かで美しい物語です。
「どうしようもないことが、あるんだよ」
高校を辞めて辛くてたまらなかった私に、こんなメッセージとともに寄り添ってくれる漫画でした。
今一度漫画を開くと、かつて私を慰めてくれた悲しい物語が広がっていました。
今の私は、読めない。そう感じました。
ぐらぐら不安定ながらも先に進もうとしている私には、静かすぎる。
この本は、かつてどうしようもないのにジタバタもがいていた私の心を、鎮めてくれました。
私の心の補助輪だったのだと思います。そして、私は今、補助輪を取り外してペダルを踏み込む段階に来ているのかもしれない。
本当にありがとう。寄り添ってくれてありがとう。
感謝が溢れて涙も止まりません。父もおやつ食べ終わってリビングを去ったので、またぽろぽろ泣きながらタイピングしています。
モノを捨てて分かりました。
私はモノに不誠実でした。たくさんの本を持っていたのに、読み込んだものは恥ずかしくなるほどに少なかった。
リトルチャロと蟲師が私を支えてくれたように、他のモノも私を助けてくれていた。
私はその分モノを大切にしてあげられたか。本来の役目を果たさせてあげたのか。
次を次をと欲しがって、数を揃えるだけ揃えて、満足した気分になって。
自分が選んで家に連れて帰ったモノ達を、ちゃんと使ってやりたかったなあ、心が痛いなあ。
モノに不誠実な私は、人にも不誠実だろうな。本質より数ばかり気にして。
モノを大切にできるようになったら、人も大切にできるだろうか。
本当に心が痛むけど、私は片づけ祭りを最後までやらないといけないと思います。
中途半端な片づけは、リバウンドで終わるそうです。
絶対リバウンドしたくない。こんな、申し訳なくて悲しい思いしながらモノを捨てるの、二度としたくない。
だから頑張らないと。
次に待っているのは、小物と思い出の品とのお別れです。
どんなに辛いだろうと考えると、くじけそう。
でも、頑張らないと。
私が集めたモノ達が、私が生き方を変えるのを、お別れを通して手伝ってくれてる。
大切な人と大切なモノを 大切にできる人になるための決死のお片づけ、3日目でした。
ときめかない服であふれたタンス(片づけ祭り②)
こんにちは、すぬーぴーです。
前回のブログで、汚部屋&八方美人の人生を卒業するべく片づけ祭りに臨むところまでを書きました。
本日の祭りの対象は衣類です。収拾がつかなくなりそうだったので、鞄や靴は今回やめておきました。
私のタンスはかなり小さいです。子供用の洋服ダンスが二つ。それを姉と共有しています。
持ってる服ただでさえ少ないのに、処分して来シーズン大丈夫だろうか。
そんな不安がありましたが、思い切ってトライしてみました。
上着も下着もトップスもボトムスもパジャマも、ほぼ全て引っ張り出しました。
さあ、ときめかない服にはお別れしよう。一枚一枚手に取って、お別れする服を袋に入れていきました。
どんどん入っていく。捨てる服そんな無いかなって思ってたけど、予想以上にお別れの服が多い。
昨日までは手放す気のなかった上着も、手に取って考えてみると、肩幅が合っていない、重いなどの理由で着づらかったことを思い出しました。
そんな服に、「ありがとうございました」とお礼を告げながらさよならすること約2時間。
45リットルの袋が2つ一杯になりました。
私はこんなにたくさんのお役目の終わった服を抱えていたのか。そしてそれを小さなタンスに押し込んでいたのか。驚きです。
本を読まずに片づけていたら、こんな思い切ったことはできなかったでしょう。
そして、着ない服、着ても「なんかこれじゃない服」をタンスに再び収めていたと思います。
持っていても大事にしない服を抱えて、ごちゃごちゃしたタンスに嫌な気分になる。
心の通じた仲でもない人にどう思われるかびくびくする。
なんか似てるなって思いました。
まだ「こんなに捨てていいんだろうか」と思う部分もあるのですが、人生を変えるためです。やってみなきゃ始まらない。
次回はこんまり先生の通りですと、鞄と靴に取りかかることになります。
大分疲れてしまったので、次回がいつくるのかわかんないところが不安だったりします。
今日の収穫のひとつは「モノ別の片づけの威力」を知ったことです。
なにより、ゴミ出しの分別が簡単!!!
部屋ごとの片づけだったら、あれは不燃ゴミこれはその他プラといった感じでひとつひとつ分けなくてはいけなくて、「捨てる作業」に集中できませんでした。モノ別凄い。ほんと凄い。
いつ来るのか分からない次回ですが、そのときが来たらまた書き残せたらと思います。
ここまで呼んでくださり、ありがとうございましたm(_ _)m
汚部屋&八方美人を卒業するために(片づけ祭り①)
こんにちは、すぬーぴーです。
ほんの先ほどまで、衣類の大処分をしておりました。疲れました。
今回の片付けは、ただ汚部屋を綺麗にするためだけではなく、
「八方美人を卒業し、重要な人を見極め大切にする人生」を送るためのチャレンジです。
きっかけは、おとといのことです。
母が何冊かの本をメルカリで売るため棚から出してきました。
その本の中に、「人生がときめく片づけの魔法」があるのを見つけました。
読んでみたいな、私の汚部屋やばいことになってるしな。
そう思って、その本を譲ってもらいました。
断捨離に取り組んだことは何度もあります。そしてその回数だけリバウンドしてきました。
私の精神状態は波があるから、しんどいときは部屋が汚くなるんだよ。だからしかたないさ。
そんな風に思っていました。
でも、この本には
「誰でも一度正しい片づけをとことんやったら、もうリバウンドすることは無い」
と書かれていました。わわわ私にもできるの…?
目から鱗の片づけ方、モノとの向き合い方がわかりやすく書かれていて、読み進めているうちになんだか本当にできそうな気がしてきました。
こんまり先生曰く、人生は片づけによって良い方向に変えることができるそうです。
「こんまり先生の指導の通りに片づけをやり遂げたら、私の人生変わるの?本当かな?」
などとまだ半信半疑でありまして。
せっかく備忘録を書き付けているんだから、この取り組みも残しておこう。そして、私の人生や考え方に変化が起きるのか、実験の経過を記録しておこう。
そういうわけで、ただいまパソコンに向かっております。
先生曰く、「本当に大切なモノを大切にするためには、役割を終えたモノを手放す」ことが必要だそうです。
これは私の望みそのものです。本当に大切なモノ、大切な人を大切にする人生を送りたい。
私は神経をすり減らすレベルで八方美人です。誰にでもよく思われたいし、誰かに嫌われるのが怖い。なんと無茶なことを思ってるんだろう。でもそうなんです。
徹底して片づけをすることで、このしんどい縛りから解き放たれるのなら。
頑張るしかないじゃないか!!!!
本を読んで、片づけをするにあたり心に留めておきたい先生のアドバイスを書き残しておきます。そしてその箇所を読んだときの私の感想も。
☆散らかすという行為は、抱えている問題から目をそらすための人間の防衛本能
(私どんだけ問題抱えてるの…?片づけ終わった瞬間、封印していた問題が雪崩れてくる…?)
☆捨てるモノ、取っておくモノの見極め作業が終わるまで、収納法には手を付けない
☆場所別の片づけは駄目 モノ別の片づけをしましょう
(目から鱗…今日はこの引き出しを片づけようって場所別で今までしてたわ…確かに一つのカテゴリーのモノをかき集めて一気に片を付ける方が効率的じゃん…)
☆「自分だけのモノ」から捨てる
(うんうん、家族にいちいち聞いてたら時間かかるし、自分の判断で捨てられるモノから手を付ける方が時短だわ)
☆音楽をかけずモノと対話する
(今まで音楽かけて、音楽にのった勢いでモノを捨てていたな、これじゃモノに対する誠意がないよな)
☆ひとつひとつ手に取って、触れてみて、ときめくかどうかを確認する
服は床に出す。本は棚から出す。モノを眠りから起こして、ちゃんと対話する
(モノを起こすという考え方は新鮮。やってみよう)
☆衣類→本類→書類→小物類→思い出の品 の順に捨てる
(じゃあ今日は衣類だな。持ってる数が少ないから、効果は限定的かな。どうだろ)
☆子供が捨てたモノの山を見ると、親には大変なストレスがかかる
(今日は母が午前出かけるから、良い機会だ)
以上の教えを胸に、お守りのように本を抱えて和室に向かう私。
衣類の片づけ祭りが始まりました。
さみしい過去を「よし」とできた日。
こんにちは、すぬーぴーです。
昨日今日と、この9年間の「さみしかった」日々を思い返しています。
思い返すきっかけは何だったんだろ。
何かは思い出せませんが、昨晩は湯船の中で、今朝は髪を整えながら、考えていました。
そして、初めて「これまで孤独でよかった」と思いました。
自分でも驚きました。そんな風に思う日が来るなんて、想像していなかった。
私は高校生の頃に双極性障害を発症し、状態がどんどん悪くなっていきました。
それでも、学校に通うことを諦めたくありませんでした。
とてもしんどかったはずなのに、辞めたいとは一度も思いませんでした。
でも、自分で通学する力は残っておらず、母に車で送迎してもらうことでなんとか息を繋ぐ日々でした。
力の入らない腕ではシートベルトを外すことが出来ず、自分で車から降りられなかった日、母に諭され、学校を辞めることを選びました。
車の窓越しに見える校舎と、助手席で泣きながらうなだれていた自分を覚えています。
高校を辞めてから数年間は、記憶と時系列が結びついていません。
今から書き残す記憶もいつ頃のことだったのか分かりませんが、何年も前のことです。
私が高校を辞める間際、私の心情を聴いてくれた友人がいました。
辞めた後、その友人とLINEををしました。そして、久しぶりに会うことになりました。
とても嬉しかったですが、反面とても心配でした。
学校に行っていた頃の私に比べ、当時の私は体力が相当落ち、自信は砕け、気持ちも臆病になっていました。
LINEの文をなんと打てば良いのかも判断ができず、母にひとつひとつ、これで間違ってないか、どう打てばいいか、助けを求めるほど、自分を失っていました。
私は、別人のようになった自分のことを事前に知ってもらいたくて、状況を説明した長文のLINEを打ちました。母に相談しながらです。
それを読む友人の負担について考える余裕は無く、又、こんな状態で友達に会おうとすることが無謀だと気づくことも、当時はできませんでした。
友人は本当に困ったと思います。
暗い内容が長々と続くLINEに恐怖を感じたんじゃないだろうか。私だったら、溺れている人にすがりつかれるような息辛さを覚えただろう。今になって思います。
LINEの返事は当分ありませんでした。
当日、待ち合わせ場所に、無理を押して行きました。
体力が落ちた私には、家からバスに乗って待ち合わせ場所に行くことも大仕事でした。
友人は約束した時間になっても現われませんでした。
心配しながら、暑い日だったと思います。日傘を差して待っていました。
1時間ほど経って、電話がかかってきました。
寝坊した、と告げられました。今起きたかのような声でした。
電話越しに、なんでもなかったんだね。今日はもういいよ。じゃあね。と告げました。
フラフラになりながら家に帰りました。
友人とはそれきりになりました。
家に着いて泣きました。
寂しくて、悲しくて、傷つきました。
何年も残る傷になりました。
私が自分の体調や心の状態に合わせて行動をコントロールできるようになったのは、学校を辞めて何年も経ってからです。
その間に、学生時代の友達とはどんどん疎遠になりました。
同年代の人のライフステージが一段一段変わる度に、よじれるような苦しさがありました。
私も仲間が欲しかったです。本当に寂しかった。
フリースクールをなんとか卒業してからは、一層孤独な日々でした。
そんなことがあったと、思い返したのが今朝になります。
そしてやっと、「友人がその日、待ち合わせ場所に来なくてよかった」
と思えました。
友人が来ていたら、縁が続いていたら、私は更に友人を困らせたと思います。
私が双極の症状に振り回されたように、私もまた友人を振り回したかもしれない。
「孤独でよかった」とも思えました。
私はさみしくとも、孤独な日々の分だけ、人を振り回さずにいられたと思います。
自己コントロールが未熟なうちに新しく友達ができていたら、その人にもまた迷惑をかけていたと思います。
だから、親しい人が与えられなくてよかった。
私は自分のことばかり考えていて、
いつも自分がどう思われるかが気にかかります。
でも今回は、 「あなたを傷つけずに済んでよかった」そんなふうに思えました。
私がいま親しい人を与えられているのは、
昔より幾分かは「あなた」を大切にすることができるようになったから、なのかな。そうだといいな。
私の友人へ
気にかけてくれて、ありがとう。
私のしんどさや不安を、送り付けてごめんね。
怖かったと思う、ごめんね。
あの日、あなたが来なくてよかった。
ありがとう。
それでも、孤独な日々でも、一緒に居てくれた家族には迷惑をかけました。
家族以外でも、迷惑をかけた人はゼロではないと思います。
もう、振り回したくないし困らせたくもないです。
「あなた」を大切して生きていきたい。
そんなふうに思えた9年目の今日でした。